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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5579号 判決

原告 大山サト子

被告 石川一郎(いずれも仮名)

主文

(一)  被告は原告に対し金五十五万円及び之に対する昭和三二年八月一五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払ふべし。

(二)  原告の其の余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は全部被告の負担とする。

(四)  この判決は原告に於て担保として金十万円を供託するときは仮に執行することが出来る。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金六十二万五千五百円及びこれに対する昭和三二年八月一五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払ふべし、訴訟費用は被告の負担とする」旨の判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める旨申立て、請求の原因として、

一、原告は昭和四年一月七日出生し、中流家庭に育ち、旧制高等女学校卒業後更に大妻専門学校被服科を卒業した。父良郎は昭和九年一二月死亡し、現在母と二人暮しで、資産は自宅ほか一棟の家屋を有し、その家賃収入で生活している。被告は大正一五年五月九日生れ、中流家庭に育ち、早稲田大学法学部を卒業し、現在自衛隊の将校である。

二、原告は昭和二六年九月一六日から東洋電機株式会社東京支店(東京都千代田区神田五軒町二四番地)に勤務中、同二七年五月八日同社大阪支店から右東京支店に転勤してきた被告と机を向い合わせて執務する同僚となつた。同年八月頃から原告は度々被告から二人だけで話したい旨誘われたが、これに応じなかつた。当時被告は妻は結核で病床にあつて近く離婚する旨吹聴して居た。同年九月三日原告は被告にスクーターで自宅まで送つてもらつたのを契機として、同月二三日国府津海岸を共に散歩したり、九月二五日には二人に取つて共通の小学校時代の先生の病気見舞に同行したりして急速に親密を加へ、その間、妻が病気で淋しいとか、母が身の廻りの世話をして居るので困るとか同情を求められ又結婚の申込をも受けた。そして被告は原告宅を訪問するようになり、又被告の母から白靴を贈られたりなどしたので、原告も被告は真に結婚の意思あるものと信ずるに至り、加うるに被告の姉の家にまで連れて行かれて紹介されたため、原告は、被告が妻と別れることが既定の事実であり、又別れることが双方のためであることと信じ込むに至つた。そして昭和二八年一月頃被告は妻と正式に離婚した旨を原告に言つた。そして同年二月七日二人で伊豆大島の旅行をした際情交を結ぶに至り、以後情交関係を続けた。

三、被告は昭和二八年中使込のため会社を辞任した。原資は支店長から被告は巧辞を以て誘惑して居るのだから早く手を切れと忠告されたが、被告を信じて之に従はなかつたが、被告との関係が同僚の噂に上つたため昭和二九年一月被告と相談の上原告も会社を辞めるに至り、同月二十日付退社の辞令を受けた。被告は近く結婚するのだから差支ないと言つて居た。此の間結婚の話が進み二九年正月には被告の父から年賀状がきた。此の頃原告は被告の子を懐妊したが、被告と相談して同年三月中絶手術を行つた。

原告は先に会社支店長から被告に妻子があると聞かされたので興信所に調査を依頼したところ、同年一〇月二六日附報告書によれば、被告には子供があり、まだ妻と離婚していないことが判明した。

仍て原告は被告を難詰したところ、同月二七日被告の母が原告方に来て、被告を養子に差上げてもよい、妻との間は単に戸籍面だけの形式的なものであり、直ちに離婚届を出すから、息子の世話をたのむと懇請するので、原告はこれを信じ、更に被告との婚姻を期待して居た。

四、昭和三〇年四月九日被告は自衛隊久居駐屯部隊に入隊したが、其際被告から同棲することを求められたので、同月一九日原告は杉並区役所に赴いて戸籍を確めたところ、被告はまだ離婚していないので、原告は被告との関係を解消する旨手紙を出した。之に対し、被告から自衛隊を退職するとか自殺するなどといふ返信が来たので、原告は驚いて同月二五日久居町に急行したところ、翌二六日被告の母も来た。被告の除隊願によつて事情を知つたらしい久居部隊河本中隊長から原被告を結婚させることをすすめられた被告の母の仲介によつて、原被告は同年四月二七日事実上婚姻して同棲生活に入り、自衛隊長、隊員、近隣等に対して原告は被告の妻としての挨拶を為し、被告の母と三人で二見ケ浦に新婚旅行をした。久居に於ける同棲期間は同年四月二七日から二八日間、五月二三日から三〇日間、八月二一日から四二日間というように間断はあつたが、昭和三〇年四月二七日から三一年七月一五日まで一年三ケ月余のうち一九五日間であつた。この間原告は再び懐妊したが被告と相談のうえ昭和三〇年一〇月二三日妊娠中絶した。他方被告は昭和三一年四月二日妻春と正式に協議離婚した。

五、然るに昭和三一年八月頃から被告の態度が冷たくなつたので、その頃東京の被告の実家に行つたところ、同所には離婚した筈の先妻春が依然として同居しているので、被告に詰問すると被告は偽りの生活で何時迄も原告を弄び得ないと覚り遂に原告との婚姻を拒絶し従来の婚姻予約の関係を破棄するに至つた。

六、(1)  原告は婚姻適令期に、被告の巧言に欺かれて所謂内縁関係に入り、昭和二八年二月から同三一年七月一五日まで三年余の間貞操を弄ばれ、二回に亘り妊娠中絶を強いられ、青春を徒過し、弊履の如く捨て去られ、之に因り堪へ難い精神的苦痛を受けた。この精神的損害に対し、慰藉料として金四〇万円を請求する。

(2)  また被告は結婚するから差支えないと原告に勤めて東洋電機株式会社を退社せしめて自己に奉仕させ、之に因り次の損害を被らしめた。

当時原告は月収約一万円であり之から生計費を控除し、少くとも一月六千円の所得があつたから、二年六月間合計十八万円の得べかりし利益を喪失せしめた。

(3)  更に同棲生活中原告より直接被告に対し、昭和三〇年一一月一七日から同三一年一二月三〇日までの間に合計十万五百七十円を貸付け、内金六万九千三百七十円の弁済を受けたので、残金三万一千二百円(残金内訳は甲第八号証の通り)、また原告の母を代理人として金一万三百円を貸付け、更に昭和三〇年一〇月二三日妊娠中絶の際被告が病院に支払つた四千円も、原告が母を代理人として被告に貨付けたものである。仍て合計四万五千五百円の貸金を有する。

七、仍て被告の婚姻予約不履行に因り原告が蒙つた精神的損害に対する慰藉料金四十万円、得べかりし利益十八万円、貸金四万五千五百円、以上合計六十二万五千五百円及び之に対する訴状送達の日の翌日である昭和三二年八月一五日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、

と述べ、

証拠として甲第一号証、第二号証の一乃至四、第三号証の一乃至五、第五、六号証の各一、二、第七、八号証を提出し、証人大山ミチ、椿文雄、北村タカの各証言並びに原告本人訊問の結果を援用し、乙第一号証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、答弁として

原告が母と二人暮しであること、被告の出生、学歴、職業、資産状態が原告主張の通りであること、原被告が原告主張の如き同僚関係から識合となりその主張の如き経緯をへて親密の度合を加へ昭和二八年二月伊豆大島へ共に旅行を試みその頃から情交関係を生じたこと(但し関係の生じたのは大島旅行後の約二週間後箱根に旅行した時であつた)、原被告が何れも原告主張の頃に夫々勤務会社から退職したこと竝に原告の退職は被告と相談の上為されたこと、昭和二九年三月頃原告が妊娠中絶手術をしたこと、昭和三〇年四月九日被告が自衛隊久居部隊に入隊し同所に於て原告と同年四月二六日から三一年七月二五日まで同棲したこと(但し実際の同棲期間は後述の如く約一六〇日であつた)、被告の母と三人で二見ケ浦へ旅行したこと(但し新婚旅行ではない)、昭和三〇年一〇月二三日原告が再度妊娠中絶したこと、同三一年四月二日被告が妻春と届出により離婚したことは認める。

原告の出生、学歴、資産状態、被告の母が原告に白靴を贈つたこと、久居同棲中原告が部隊の中隊長、隊員に被告の妻としての挨拶をしたことは何れも不知、その余の事実は何れも否認する。原被告の事実関係は左の如くである。

被告は昭和二七年七八月頃原告と同僚として知り合つた。当時被告には妻子があつたが、妻春(当時杉並区上荻窪二ノ五二、被告の両親宅に同居)は病気勝ちであつたので、原告に対して妻への不満を打明け心の寂しさを紛らす裡に原告も被告に対し同情と関心を持ち、遂に大島旅行となり其後箱根に旅行した際初めて肉体関係を結び、以後関係を続けている中に夫々原被告の会社退職となり、被告は父の家業を手伝つて居た。此頃原告は被告に対し結婚を申込むと共に前提として被告と妻春との離婚を要求した。被告もその意思であつたが、昭和二八年四月二男次郎も生れて居り二人の子供の処置と春が離婚後身を寄せる実家がないので其の生活をも考へてやる必要があつたため離婚も急速に進展しなかつたので、その旨原告に説明し、原告も止むを得ないとして関係を続けて居た。しかしこの間被告の家庭には原告の問題に起因して風波が絶えないので、被告は此の状態から脱け出るため、両親にも妻にも秘して、昭和三〇年一月一〇日自衛隊久留米部隊に入り、次いで同年四月一一日三重県久居部隊に入隊し三二年一月新発田の部隊に転属するまで久居に居た。久居に於て原被告が同棲生活に入つたことは事実であるが、その期間は、三〇年四月二六日から二八日間、同年五月二〇日から三〇日間、同年八月二一日から四二日間、同年一一月上旬から一五日間、三一年四月中旬から一五日間、同年六月上旬から約一月間、合計一六〇日間であつた。同所に於ける原被告の同棲生活は双方共将来結婚の希望を持つていたとは言へ、所謂合意の上私通関係に過ぎなかつた。然し原告主張の如く昭和三一年四月二日妻春と協議離婚が出来たので、偶々被告は昭和三一年七月中旬から八月中旬迄練馬部隊に派遣されて在京したので婚姻した場合の生活問題、家族関係等について相談し原告と婚姻を実現しようと努力した。然るに原告から被告に提示された条件は、(イ)被告は原告方の養子となり、原告方に住むこと(ロ)被告の子二人は被告の両親の養子とし、被告方に残し置くこと(ハ)原告は被告の両親とは交際せず、被告家には一切出入しないこと、の三条件であつた。

これは父親として又両親に対する子としての被告の立場を全く無視するもので、被告が如何に原告に対して愛情を感じて居るとは言へ到底受諾できないことなので即座に拒絶したところ、原告は怒り泣き喚いて被告を殴打した。被告は原告との結婚を永い間熱望してきただけに、此の出来事には痛く失望したが、原告に於て考を改めるならば未だ考慮の余地もあると思い暫く原告の気持の落着くのを待つた。昭和三二年正月被告の帰省中原告は被告方を訪問し、将来の夫たるべき被告の両親に対するものとは思へない態度で暴言を吐いて引上げた。此事があつてから被告としてももはや原告は一生の伴侶としては不適当だと悟り、結婚を断念し、昭和三二年二月二八日再び先妻春と再婚をするに至つた。

上述の如く原被告間には未だ内縁関係はなかつたのであるから、これを前提とする原告の請求は失当である。

仮りに内縁関係が認められるとしても、右関係の解消は原告の行為に起因するものだから、被告には何等責任がない。

と述べ、

証拠として乙第一号証を提出し、被告本人尋問の結果を援用し、甲第三号証の五の郵便官署の消印部分の成立は認めるが、その他の部分の成立は不知、甲第八号証は不知、その他の甲各号証の成立を認めると述べた。

理由

(一)  事実摘示記載の被告の自認した事実と成立に争のない乙第一号証(戸籍謄本)、甲第二号証の二、同第三号証の一乃至四、同第五乃至第七号証の各記載及び証人北村タカ、椿文雄、大山ミチ、原告本人竝被告本人の各供述とを綜合すれば、被告は昭和一四年五月三〇日山田春と届出による婚姻を為し昭和二七年当時には其の間に一子太郎(昭和二四年一〇月二九日生)を儲けていたところ、同年八月頃から被告は原告主張の如き会社勤務の同僚として原告と識合ひ、原告に対し積極的に交際を求め原告の歓心を買ふに努め次第に親密の度合を増した。その間被告は原告に対し、自己の妻は病床に在つて子供もあるが現在は別居中であり離婚の予定であると告げて原告に求婚したが原告の応ずる所とならなかつた。然るに其後被告は妻と離婚した旨を告げ強く原告に婚姻を求めたので原告も一時は躊躇したが被告の言を信じ、遂に昭和二八年二月中共に伊豆大島へ旅行した際、将来正式に婚姻する約束の下に関係を結ぶに至つた。原被告はその後もその関係を続けて居たが、同年十一、二月頃被告は勤務会社を辞職した。同年十二月頃原告はその会社支店長から、被告には妻子がある旨注意されたので驚いて被告に事実を質ねたところ、被告は妻のあることを言下に否定したのでその言を信じて依然関係を続けて居た。被告の辞職後、同人との関係のため原告は会社に於て冷眼視される空気を感じ之を被告に告げて相談したところ、同人は何れにせよ婚姻すれば止める関係だからと言ふので、原告も昭和二九年一月同会社を辞職した。同年秋になつても被告は約旨に反し結婚式をしないので原告の周囲が不審に思ひ興信所に依頼して調査した結果同年十月中、被告が依然妻春と夫婦として同棲し且つ戸籍上もその記載のあることが判明した。この結果原告は被告の住所である両親の家を訪ねたところ同人の妻が子供を抱えて居るのを現認したので、女性として自分が身を引くべきものと決心しその旨を被告に告げた。然るに被告の母は被告を伴つて原告宅に来て、今迄の被告の非を詑び且つ原告が嫁に出られないなら被告を原告家の養子としてもよい、必ず結婚させる、当分遠くへ行つて生活して居れば、その裡に一諸になれると懇願するので、被告の母の言にほだされ原告も之を承諾し、その結果原被告及び被告の母が相談の上被告は自衛隊に入隊し、その任地で同棲することを約した。被告は昭和三〇年一月久留米で教習を受け同年四月から三重県久居部隊に入隊し、原告は同地で被告と同棲する予定であつたが、それに先立つて約旨による離婚の実行があるか否かについて被告の戸籍を調査したところ、未だ離婚して居ないことが判明したので、原告は再三の被告の不信を怒り同人とは婚姻し得ない旨伝へた。然るに被告から自衛隊に退職願を出す、自殺する等の手紙を寄越したので原告も驚いて同年四月二五日久居の被告の許に赴いた。翌二六日被告の母も来合はせ被告との婚姻を懇願するので原告も遂に之を承諾し同日以降昭和三一年七月十五日迄、帰京の期間を除き、約百九十日間夫婦として同棲したことを認めるに十分である。以上の認定に反する被告本人の供述部分は冒頭掲示の各証拠に照らして当裁判所の措信しない所である。

(二)  以上認定の事実によれば、原被告は昭和二八年二月中将来婚姻すべき約束の下に関係し其後この関係を継続し昭和三〇年四月二七日から三重県久居に於て内縁の夫婦として同棲して居たもの即ち所謂婚姻予約の関係に在つたものと認めるに十分である。被告は以上は単なる合意上の私通関係に過ぎず、将来婚姻する旨の合意はなかつた旨主張するが、本件全資料に徴しても到底之を認めるに足らないから右主張は採用すべくもない。

「唯本件に於ては前段認定の如く被告には戸籍上の正当な妻があつたのであり、原告が被告と単なる同僚として交際を初めた当時そのことは被告の言によつても原告も知つて居たのであるが、被告は同人の妻が病気であり離婚することは既定事実である旨原告及び周囲に吹聴して居り其後離婚したことをも告げられたため、原告は被告と最初肉体関係を持つた時は勿論その後昭和二九年一〇月二六日興信所の報告ある迄は、被告の離婚済みであることを信じて居たことは前段認定の通りであり、又その後も前段認定の如き曲折を経て三一年七月一五日迄その関係を継続して居たものであること而も昭和三一年四月二日には被告と妻春と協議離婚をしたことは被告の自認及び前記乙第一号証(戸籍謄本)の記載によつて明らかであるから、以上の事情の下に成立した本件婚姻予約は少くとも原被告間に於ては法律上有効なものと認めるを相当とする。」

(三)  然り而して被告がその後原告との婚姻を断念し昭和三二年二月一八日再び前妻春と届出による婚姻をしたことは被告の自認及び乙第一号証の記載によつて明らかである。被告は同人が原告との婚姻を断念したのは、同人が被告主張の如き実行不能な事実に固執し且つ乱暴する等のことに起因する旨主張し、被告本人も之に副ふ如く供述するが、該供述は本件弁論の全趣旨に照らして輒く信用し得ないのみならず、仮に原告から被告主張の如き申出があつたとしても、前段認定した通り被告が長きに亘つて原告と関係乃至同棲したこと而も原告に対する当初からの関係を考慮すれば、少くとも被告は愛情と善意と忍耐とを以て原告を説きその態度の緩和を計り又は適当な打開の方策を講ずべき義務があるのに拘らず、本件全資料に徴しても被告が斯る努力を払つた形跡は毫も認め得ないから、被告の右主張は採用することを得ない。

以上の如くであるから、被告は前妻との再婚によつて原告との間の婚姻予約を理由なく破棄したものと認めるを相当とする。

(四)  原告が被告の理由なき婚姻予約破棄によつて精神的肉体的に苦痛を受けたことは勿論であり、被告はその慰藉料を支払ふべき義務あることは言ふを用ひない。(1) 原告が旧制高等女学校を卒業後大妻専門学校被服科(夜間)を卒業し母と二人暮しの生活をして居たことは被告の自認及び原告本人の供述を綜合して明らかであり、原告が東洋電機株式会社東京支店に勤務し、一ケ月平均一万二千円の収入のあつたことは原告本人の供述によつて之を認め得べく、原告が被告との関係同棲中二回に亘つて中絶手術をしたことは被告の認める所である。(2) また被告が早稲田大学法学部を卒業し前示会社に勤務して居たこと、現在自衛隊二等陸尉として中隊長代理を勤め、手取り二万二千円乃至二万二千五百円の月収あることは同本人の供述によつて明らかである。以上(1) (2) の事実と前段認定の各事実竝に本件弁論に現れた諸般の事情を綜合参酌すれば、被告から原告に支払ふべき慰藉料の額は、原告請求通り金四十万円を相当と認める。

(五)  「原告が被告との関係の結果前示勤務会社に於て周囲から冷眼視され、被告に相談の結果、早晩婚姻すべき了解の下に、同会社を退職したことは既に認定の通りであり、原告が、被告との婚姻予約がなかつたならば、少くともなお二年六月は同会社に勤務したことは本件弁論の全趣旨に照らして之を認め得るから、此の期間の得べかりし利益は婚姻予約が誠実に履行されることを信頼したことに因つて被つた損害と解するを相当とする。」而して原告が当時月収一万二千円の手取があつたことは既に認定の通りであるから、生計費を控除すれば月五千円の実収があつたものと認むべく、従つて二年六月分合計十五万円は原告の得べかりし利益として被告に於て支払の義務があるが、其の余の部分の請求は失当であるから之を棄却する。

(六)  次に原告主張の貸金の請求について判断する。原告本人及び同人の供述によつて原告の作成したものと認める甲第八号証の記載を綜合すれば、原被告の関係中に原告乃至同人母から被告に対して金銭の交付のあつたことは推認するに難くないが、その数額及び残存額が果して原告主張の通りであり而も此が被告に対する通常の貸金であることについては、前示供述竝に記載を以てしては、当裁判所は未だ十分な心証を得ることが出来ず、他に右主張事実を肯認するに足る証拠がないから、右請求は之を棄却する。

(七)  仍て以上認定の慰藉料四十万円、得べかりし利益としての十五万円合計五十五万円及び之に対し本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三二年八月一五日以降完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲に於て原告の請求を認容し、其余は之を棄却すべく、訴訟費用について民訴法第九二条但書、仮執行について同法第一九六条を適用し主文の通り判決した。

(裁判官 鈴木忠一)

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